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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)11008号 判決

〔抄録〕

一 本件借款の成否について

<証拠>を総合すると、つぎの事実が認められる。

興亜院華中連絡部は、支那事変にあたり、支那において処理を要する政治、経済および文化に関する事務ならびに諸政策の樹立に関する事務を掌理する機関として昭和一三年一二月一六日勅令第七五八号(興亜院官制)に基づいて設置された興亜院の支那における事務の連絡をつかさどるため、同日勅令第七五九号(興亜院連絡部官制)および昭和一四年三月一〇日閣令第三号(興亜院連絡部及び興亜院連絡部出張所ヲ置ク地竝ニ各連絡部及連絡部出張所ノ名称及担任区域ニ関スル件)に基づいて設置された被告国の行政機関であり(以上の事実は当事者間に争いがない。)、その管掌事務の一つとして、支那における物資動員計画に関する事務、具体的には、中国現地における物資の買付けなどを行なつていたものであるが、昭和一五年、アメリカ合衆国が対日経済封鎖を敢行するにいたつたため(右経済封鎖の事実は当事者間に争いがない。)、戦争遂行上重要な物資である石油、鉄、銅その他非鉄金属などの輸入が一層困難となつたことに加え、当時右重要物資が豊富にあり、かつ、自由貿易の可能であつた上海において、ドイツおよびイタリアがこれらの物資の買占めを開始したことなどから、興亜院華中連絡部首脳は、上海において右重要物資の確保をはかることが急務であると考えた。しかし、上海における右物資の買付けはドルまたは法幣(ただし、南京政府が発行したものではなく、中国において従来から適用していたもの以下同じ)でなければほとんど不可能であつたため、興亜院華中連絡部としてはドルもしくは法幣の保有を必要としていたのであるが、買い受けたい物資を発見したつど正規の手続を経由して本国政府からその買受けに必要なドルの支給を受けていては買受けの機会を失うおそれがあり、それよりも、中国財界人からドルもしくは法幣の借入れができて、必要な時にいつでもこれらを使用できるならば、きわめて便宜かつ有利であつたから、興亜院華中連絡部次長及川源七および物動担当事務官加藤一雄らが中心となつて、民族資本の導入と称する中国人からのドルもしくは法幣借入計画を立案し、同人らは、右計画について、一方では、大蔵省その他関係官庁の事務官と協議し、他方では、中国の著名な財界人である虞冾卿に対し、右計画が日中両国の和平促進に役立つ旨説明して協力を要請するとともに、興亜院の嘱託であり、原告とも親交のあつた山下鉱業株式会社上海支店長岩屋三男を介して、右虞冾卿と親密な間柄にあつた原告(除学英)にも働きかけた。そして、右及川らは、右計画の実施について本国政府の異議もなく、虞冾卿らもこれに応ずる意向を示したので、右虞冾卿らとの間で借款をとりまとめることとしたが、右虞冾卿らから、右借款について、それが和平促進に役立つとはいえ、いわば敵国に援助を与えることになるので、日本国政府との借款であることをカムフラージするため、いわゆる民間借款の形式をとつてほしい旨の要望があり、たまたま虞冾卿と山下鉱業株式会社会間兼山下汽船株式会社社長山下亀三郎とが取引上親しい関係にあつたことから、興亜院華中連絡部において右山下の了解を得たうえ、表面上は虞冾卿が右山下に貸与するように装うこととし、興亜院連絡部長官津田静枝は、昭和一五年一二月二八日、虞冾卿代理人兼本人である原告との間において、要旨つぎのとおりの本件借款を締結した。

(1) 名称 山下虞冾卿借款

(2) 借款金額 金額金一〇〇〇万元

(金二三〇万ドル)

(3) 利率 年八分

(4) 返済期日 日中両国間の戦争終了後当事者双方で協議して決定すること。

(5) 貸付方法 興亜院華中連絡部が横浜正金銀行上海支店に設けた山下特別資金の口座に適宜ドルまたは法幣を払い込むこと。

(6) 返済方法法幣の貸付けについては一〇元を2.3ドルに換算し、元利金ともドルで返済すること。

そこで、原告は、本件借款に基づいて、別紙貸付一覧表の(1)ないし(12)記載のとおり、合計金五万ドルと合計金二八〇万元を右山下特別資金口座に払い込み、同年七月四日、興亜院華中連絡部から、同年三月二九日までに貸し付けた合計金五万ドルと合計金二〇〇万元に対する同年六月末日までの利息合計金1865.4229ドルおよび合計金5万8958.881元の支払を受けた。

以上の事実が認められ、成立について争いのない乙第八号証の二(原告代理人元林義治作成の調停申立書)の返済期に関する記載部分は、前掲証人岩屋三男(第一回)および同及川源七の各証言に照らし、にわかに信用しえないし、そのほか、右認定を左右するに足りる証拠はない。なお、原告は、昭和一六年一一月一四日にも金八〇万元を貸し付けた旨主張するが、前掲証人岩屋三男の証言中、原告の右主張にそう部分はにわかに信用しえないし、前掲証人加藤倭代の証言によつて真正に成立したものと認められる甲第一号証の四四も前掲甲第一号証の四〇と対比すると、原告の右主張を認めうる証拠とはいえないし、そのほか、右主張を認めるに足りる証拠はない。

二 本件借款の準拠法について

本件借款の締結にあたり、契約当事者が本件借款の準拠法について明確な意思を表示したものと認めるに足りる証拠はないが、契約当事者が当該契約の準拠法について明確な意思を表示しなかつた場合でも、直ちに行為地法がその準拠法になるものと解すべきではなく、当該契約の内容、性質、当事者などの具体的事情を考慮して、当事者の意思を推認すべきであり、したがつて、本件借款の当事者の一方が前記認定のとおり被告国の行政機関であることからすれば、本件借款の当事者は、特段の事情がないかぎり、本件借款については日本国法を準拠法とする意思であつたものと解するのが相当である。

三 本件借款における被告の責任について

(一) 原告は、興亜院およびその連絡部が官制上当然に金銭借入権限を有していた旨主張する。しかし、興亜院が、官制上、支那事変にあたり支那において処理することを要する政治、経済および文化に関する事務ならびに諸政策の樹立に関する事務を掌理する権限を有していたことは前記のとおりであるが、<証拠>によれば、国債すなわち国の借入金債務負担に関する事項は、本件借款成立当時施行の大蔵省官制(明治三一年一〇月二二日勅令第二六九号)により、すべて大蔵大臣の権限とされていたことが認められるから、興亜院の権限に属しないことは明らかであり、したがつて、原告の右主張は採用しえないものというべきである。

(二) また、原告は、日本国政府が興亜院華中連絡部に対して、本件借款の締結権限を授与した旨主張する。なるほど、本件借款が物資動員計画に基づく物資の買付け資金とする目的で興亜院華中連絡部において立案され、これについて本国政府の大蔵省その他関係各官庁の事務官らによる協議がなされたことは前記認定のとおりである。しかしながら、国の借入金債務負担に関する事項は前記のとおり大蔵大臣の権限とされていたのであるから、興亜院華中連絡部に対して右大蔵大臣の権限に属する事項の処理を任せることは、勅令で定められた前記大蔵省官制の例外を認めることとなり、したがつて、法律もしくは勅令によつてこれを定めなければ許されないものと解すべきである。しかるに、本件借款の締結権限を興亜院華中連絡部に授与する旨の法律もしくは勅令が制定されたことを認むべきなんらの証拠もないから、原告の右主張も理由がないものといわねばならない。

(三) さて、国の行政事務は、法令によつて、それぞれの行政機関に配分され、各行政機関は、法令で定められた一定の職務権限の範囲内でのみ、国を代表するものであるから、正当な権限を有しない行政機関によつてなされた行為は、原則として無効であると解すべきであるが、当該行為が私法上の法律行為である場合には、取引の安全保護の見地から、民法第一一〇条所定の「代理人カ其権限外ノ行為ヲ為シタル場合」に該当するものとして、その行為について同条の類推適用を認めるのが相当である。そこで、これを本件についてみるに、興亜院華中連絡部長官のした本件借款の締結は、前記のとおり、その権限外の行為であるから、本件借款の締結において原告が同法条所定の「其権限アリト信スヘキ正当ノ理由」を有していたかどうかについて判断する。

原告が中国人であることは当事者間に争いがなく、本件借款が支那事変下の上海において物資動員計画に基づく物資の裏付資金とする目的で締結されたものであることおよび興亜院華中連絡部が中国において物資の買付けにあたつていたことは前記認定のとおりであり、前掲証人岩屋三男の証言(第一回)および原告本人尋問の結果によれば、原告は、親しくしていた山下鉱業株式会社上海支店長岩屋三男を介して、興亜院華中連絡部から、日本国政府が中国において物資を買い付ける資金とするための金銭貸与の要請を受け、日本国政府が借り受けるものと信じてその要請に応じ、本件借款を締結したことが認められる。そして以上の事実を総合すれば、支那事変下の上海において、中国人である原告に対し、被告国の行政組織に関する法的知識を要求することは酷であるというべきであり、かかる情勢下の原告に対して興亜院華中連絡部から日本国政府の施策である物資動員計画に基づく物資買付けの資金とする目的で金銭貸与の要請があつた場合、興亜院華中連絡部の権限について原告に調査を求めることは期待しえないものであり、興亜院華中連絡部が日本国政府の施策である物資動員計画の一環として日本国政府の指示および投機に基づいて本件借款の要請をしたものであると原告が信じたのは、けだしやむをえなかつたものと首肯しうるところである。したがつて、興亜院華中連絡部が本件借款を締結して借入金を収受する権限を有するものと原告が信じたことについて、原告に正当な理由があるものというべきであるから、被告国は、本件借款についてその責に任じ、原告に対し、約旨に従つて借入金の返済をすべき義務を負うものといわねばならない。

四 弁済期の到来について

本件借款における借入金の返済期日の定めが「日中両国間の戦争終了後当事者双方で協議して決定する」趣旨であつたことは前記認定のとおりであるが、被告は、右返済期日の定めは無意味であるから、結局弁済期の定めがなかつたことに等しい旨主張する。しかし、被告の右主張の理由とするところは、ひつきよう、右返済期日に関する合意の存在を否定する理屈にすぎないものというべきであり、右返済期日の定めでは弁済期を確定することが不可能であるとはいえないから、被告の右主張は主張自体失当であるといわざるをえない。

ところで、右返済期日の定めにいう日中両国間の戦争終了後とは、その約旨からして、日中両国間の具体的戦闘行為の終結後ではなく、戦争状態の終了後の趣旨であつたものと解するのが相当であるところ、日中両国間の戦争状態は、日本国と中華民国との間の平和条約第一条、第一三条、昭和二七年八月五日外務省告示第三六号により、昭和二七年八月五日終了したことが明らかであるから、原告は、同日以後、被告に対し、本件借款に基づく貸金の返済期日を確定するため、協議の申入れをする権利を行使する

ことができるものというべきである。

さて、原告が昭和三三年一月八日ごろ内閣官房長官愛知揆一に対して本件借款に基づく貸金の返済請求をしたことは当事者間に争いがないが、内閣官房長官は被告国を代表して借入金返済の協議の申入れを受ける権限を有するものではないから、原告の右返済請求は、適法な協議の申入れではないものといわざるをえない。しかし、原告が昭和三九年四月六日被告を相手方として東京簡易裁判所同年(ノ)第一四二号貸金返済請求調停の申立てをしたことは当事者間に争いがなく、右事実によれば、右調停申立ての数日後には右調停申立書の副本が被告に送達されたものと推認しうるから、右送達時に前記返済協議の申入れがあつたものというべきである。もつとも、右調停が昭和四二年一〇月三日不調に終つたことは当事者間に争いがないから、右協議は結局整わなかつたものといわねばならない。しかしながら、返済期日が契約当事者の協議によつて定まるものと約定された場合、当事者の一方から、当該協議の申入れを受けた者は、その申入れに応じて、協議のうえ、返済期日を定める義務を負うものというべきであるから、右申入れを受けた者が協議を拒絶した結果返済期日を合意決定しえなかつたときは、その者が協議によつて受けられる期限の利益を放棄したものとして、協議拒絶の時に返済期日が確定するものと解するのが相当である。そして、証人後藤信夫の証言によると、被告は本件借款の成立そのものを否認して前記調停を拒絶したものであることが認められるから、本件借款に基づく被告借入金の返済期日は、右解釈に従い、前記調停不調の日である昭和四二年一〇月三日到来したものというべきである。

五 日本国通貨による返済請求の当否について

本件借款の返済方法に関する約旨によれば、返済は元利金ともドルをもつてするものとされているが、金銭債権は通貨の表示する価値そのものに重点を置くのが通常であり、ことに、本件借款の借主が被告国であることからすれば、本件借款の返済方法に関する前記約旨は、特段の事情のないかぎり、原告が被告国の通貨によつても当然返済請求しうる趣旨であつたものと解するのが相当である。したがつて原告は、被告に対し、返済時における換算率によつて換算した日本国通貨をもつて貸金の返済請求をしうるものというべきである。

六 消滅時効完成の有無について

被告の消滅時効の主張は本件借款が弁済期の定めのない契約であることを前提とするものであるが、本件借款は弁済期の定めのある契約であつて、その弁済期は昭和四二年一〇月三日到来したものであること前記のとおりであり、同日から起算すれば、本件借款に基づく原告の貸金請求権がいまだ一〇年の消滅時効期間を経過していないことは明らかであるから、被告の右消滅時効の抗弁は理由がないものといわねばならない。

七 戦時補償特別措置法の適用の有無について

戦時補償特別措置法(昭和二一年一〇月一九日法律第三八号)は、今次大戦後の非常事態にかんがみ、国民経済および国家財政の整備再建に資するため、政府もしくは特定機関に対する戦時補償請求権のうち、金銭の給付を目的とするものについては、これを課税の方法によつて打ち切る趣旨のもとに制定された法律であり、しかも、同法には外国人に対する同法の適用を除外する旨の規定はない。しかし、同法成立当時の日本国は、ポッダム宣言および降服文書第八項により、連合国の管理下にあり、日本国の国家統治の権限は連合国最高司令官の制限の下にあつたから、連合国最高司令部の発する指示命令は日本国の法規を超越する効力を有するものであつたところ、昭和二一年七月二五日日本政府あてのAGO一二二(二五七四六)ESS―F――(SCAPIN――一八二六――A)非日本人に対する一般税の適用についての連合国軍最高司令部覚書において、「すべての非日本人に対する地方税及び国税の一般税の適用については、異議はない。但し、右税金は非日本人に対し差別的でない事を条件とする。本覚書中に一般税なる用語は、現在日本政府及びすべての地方庁により賦課されている通常税を包含する。本覚書は現在懸案中の財産税及びその他の臨時的性質を有する租税には適用されない。」ものとされていたのであり、右覚書の出された後に成立した戦時補償特別措置法が右覚書にいう「臨時的性質を有する租税」の賦課を定めた法律であることは明らかであるから、同法は、外国人に適用されないことを当然の前提として、立法されたものと解するのが相当である。したがつて、外国人である原告に対しても同法が適用されることを前提とする被告の主張は、その余の点について判断をするまでもなく、失当であるといわざるをえない。

(桝田文郎 野田殷稔 平手勇)

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